歴史

1956年

日本の探検部第1号、京都大学探検部誕生
京都大山岳部部員だった本多勝一氏(現ジャーナリスト)が、山岳部に満足しきれず、立ち上げた。
探検部創部ブームへ
大阪市大、関西大、横浜市大、阪大、早大、東京農大、東海大…と各地の大学に次々に探検部ができていった。

1958年

写真上智大学外国語学部イスパニア語学科の学生だった礒貝浩さんと、その友人たちを中心に「世界旅行研究会」が立ち上げられる。海外旅行が自由化されておらず、ドルは?という時代にあってヨーロッパ放浪を敢行した礒貝さん。帰国後、この会を正式なサークルとして大学側に申請。(上智大学探検部の起源)

1960年代

上智大学探検部及び学士探検会だけでも、世界8大砂漠のうち4つの砂漠の横断・縦断南米アマゾン流域調査、アルゼンチン・アンデス調査登山

1960年

「ソフィア・アドベンチュアラーズクラブ」結成
「世界旅行研究会」のメンバーの中でも、「保守派(夢想派)」と「過激派(日本脱出実践希望派)」に分けられるようになった。そこで、後者メンバーで、「アベンチュアラーズクラブ」=「冒険家たちの集い」を結成したわけである。

1964年

写真 「上智大学探検部」に改名
2度目の海外放浪から帰国した礒貝さんは、自分たちと同じような志向性をもったサークルが「探検部」と名乗っていることを知る。「じゃあ俺たちも」と軽い気持ちで改名したらしい。改名後の初の顧問を、梅棹忠夫氏(当時京大教授)とする。

1960年半ば

「上智大学学士探検会」発足
上智大探検部OBで結成。数年間にわたり、ヨーロッパ北極遠征隊を出し、ラップ人の調査を行うなどした。

1970年代

写真ブラジル・パラグアイ密林探検、ボリビア・ペルーのインディオ生活調査、マレー半島調査、中米(ニカラグア)調査、シルクロード踏査など海外遠征が多数おこなわれた。学生探検華やかかりし時代であった。
「私たちの大学には、探検を学術的に裏付ける学部がありません。そこで、いきおい、わたしたちの『探検』は『人間とは何か?』という文学ジャンルのアプローチ(手段)に終始してきました」「どの大学の探検部にも学術派とアドベンチャー派があります。わたしたちの場合、このアドベンチュアー派をそれなりにつきつめていったとき、それは文学のジャンルに踏み込む結果を生んだのです」(礒貝さん、1967年)

1980年代前半

写真 このあたりで、上智大学探検部体制改革が行われた、らしい。現在につながるアウトドアサークル化への流れが生まれたのはこのあたりと思われる。 探検部解体? 現在現役部員の手元にあるOB名簿もこれ以前のデータはほとんどない。
ラフティングの活動が盛んに。 リバベンへの参加が恒例となる。1980年代は、上智がリバベン準優勝を飾ったり、リバベン実行委員長が上智から選ばれるなどした。 調査、踏査、というより旅行的要素が強い海外合宿が行われるようになる。日本、アウトドアブーム。レジャー化の時代。

1990年代半ば

写真 ヤングフラワー結成
今の現役部員がお世話になっている、OBさんグループ。1990年代半ばの部員が中心となり、ラフトをやったりしている。

2000年代(現在)

2002年、関東学生探検連盟に加盟。アウトドアスポーツを中心に活動している。